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Race To Eleven
Race To Eleven
毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です


第6話 涙の再会
Race To Eleven
 雪解けのように、そのピリピリとした空間の緊張感が解けてゆく。熱気の固まりのようなものが緩やかに周りの雰囲気に溶け出して、いつもの「ガス燈」の雰囲気に戻りつつあった。
 
 差し出されたマスターの大きく分厚い右手に、満面の笑みを浮かべた佐倉の小さな両手がぎゅっと握りしめる。「ありがとうございました。」と軽くお辞儀をする。
 
 「完全にやられました。自分ではいいプレイができたとは思うが、あなたには全く歯が立たなかった。」とマスターは素直に負けを認めた。軽く頷く佐倉にさらに優しい低い声でこう続けた。
 
 「自分への戒めとして、いやむしろ・・・今日の対戦のお礼として、何か一杯ご馳走したいんですが、どうですか?」と、もうお店のマスターとしての口調に切り替わっていた。
 「じゃあ・・・」佐倉は少し考えると、「お勧めのカクテルか何か、いただけますか?」と快く受けた。
 
 佐倉がキューを畳み、旅行鞄とキューケースを持ってカウンター席の方へ移動すると、そこには一人の女性が先に座っていた。マスターの方は、いそいそと自分のキューを片付け、ビリヤードテーブルを整え、てきぱきと接客をこなしてゆく。
 
 佐倉は隣の席の女性に向かって話しかけた。「見てたの?」
 
 「うん。途中からだったけど、いい感じじゃない?」相手の女性は濃いブラウンのロングヘアーをシュシュで華やかにまとめ、黒いレーシーニットに紺色のデニムを着こなし、二重に巻かれた長い黒真珠のネックレスという出で立ちで、落ち着いた大人の女性と思わせる印象だ。
 
 「うん!悪くない、かも?」それまで見せたことがないような優しい笑顔で佐倉が答えた。
 
 マスターはカウンター内で慣れた手つきでカクテルを作り終えると、濃いピンク色のカクテルをカクテルグラスに注ぎ佐倉に差し出した。
 
 「桜舞って名前でね、桜リキュールとスミノフ・ウォッカのカクテルになんですよ。もちろん、佐倉さんの名前にちなんで、ね。」さすがに季節から少し外れてしまうため、塩漬けの桜の花びらまでは無かったようだが、雰囲気は楽しめたようだ。
 「ありがとうございます。」にっこりと佐倉は微笑んで、初めてのカクテルを口にする。鼻から抜けるようなほのかな桜の香り、爽やかな甘みに満足した様子だ。
 
 
 そしてマスターは隣の女性に目を向け、こう言った。「ひょっとして、MAKIプロではないですか?」そして「失礼ですが・・・」と言い添えようとする前に、彼女は「ええ。はじめまして。MAKIです。」と優しく微笑んだ。
 MAKIは、アマチュア時代の実績が評価され、プロテストに合格してプロ入りするも、電撃入籍と妊娠、出産のためにすぐに活動をした休止ことで話題になった。ビリヤードプロとしての活動は休止していたが、自らファッションブランド「MAKI」を立ち上げて成功していたことから、本名よりも「MAKIプロ」との愛称で呼ばれることが多い。異彩を放つビリヤードプロとして広く知られていた、いわば「時の人」だ。
 
 佐倉がカクテルを飲み干した頃を見計らい、MAKIが「そろそろ行こうか?」と言うと、佐倉は「うん」と頷き、会計を済ませて店を出ようとしていた。二人の後ろ姿は姉妹のようにも見えるぐらいに仲が良さそうに見える。
 
 マスターは店の玄関まで二人を見送り、「また近くにいらしたら是非来てください。私もまた頑張りますから」というと、二人は「また一緒に来ようね!」と口を揃え、再びマスターに「今日はご馳走様でした。ありがとうございました。」と一礼すると荷物を抱えながらゆっくりと石畳を歩いて行った。
 
 
 二人が去った後、学生たちは先ほどのプレイを論じ合っていた。二人とも、彼らのプレイが脳裏に鮮明に焼き付いていた。全てのショットではないにしても、要所となったボールの配置をテーブルで再現してみて、
 「ここで、こんな感じだったよな?」
 「そうそう、俺もあの場面でこうくるとは思っていなかった。あれは凄かった!」とやや興奮気味に語り合う。
 一人は「俺はビリヤードってもっと力のある方が有利だって思い込んでいたけど、今日のを見て、ちょっと考え方を改めなきゃって思った」
 そう言うと、もう一人は「セーフティなんて邪道だ、なんて心のどこかで思ってたけど、そんなこと間違いだった。本当に上手い人のセーフティ合戦って見ているだけでもこんなに興奮するもんだったんだね。」
 
 こうした会話をマスターは仕事をしながら温かく見守っていた。少なくともこの店の常連プレイヤー二人には影響を与えているし、自分自身もより高いレベルを目指してみたいという欲求を抑えられそうにない。それに付け加えるなら、佐倉はどうも海外での修行を積んできているようだ。そこまでの決意をする彼女に比べて果たして自分はどうだろうか?
 
 三者三様の刺激を受け、またこの店も客も変わろうとしているのかも知れない。
 
 
 一方、MAKIと佐倉は、積もる話しもあるはずなのだが、なぜか無言のまま駐車場に到着した。MAKIの黒いアウディのトランクに荷物を詰め、二人がシートに座ると佐倉の方から話しかけた。
 
 「ただいま。」
 
 「おかえりなさい。よく帰ってきてくれたわね!電話してくれたとき、嬉しかったよ!」優しい笑顔は佐倉の目を見つめていた。
 次の瞬間、佐倉の両の目から、堰を切ったように涙が溢れだした。「ごめんなさい」と言うや否や両手で顔を覆わんばかりに涙を抑えようとする。先ほどまで抑えていた感情が一気に吹き出したようだ。
 
 MAKIはハンカチを取り出し、そっと佐倉の涙を拭うように、そしてそのハンカチを手渡した。やはり優しい声で、「みんな待ってるから。ね、帰ろ!」すべてを許すかのような、精一杯の優しい気持ちを込めて、MAKIは佐倉にそう言った。
 
 佐倉の方も一度決めたこと、「うん。ありがとう。」目を真っ赤にしながら頷いた。涙のせいで腫れぼったいようだが、それでも目は真っ直ぐと前を見開こうと懸命だった。
 MAKIプロはエンジンをかけ、車を動かし始めた。
 
 
 二人を乗せた車は、すっかり薄暗くなった石畳の道をゆっくりと進み、この街を後にした。


  • 2019年2月22日(金) 13:43 by 芦木 均

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