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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です


第4話 ぶつかり合う存在感
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  カンッ! と高い音がして、鋭く振り下ろされたジャンプキュー。手球は軽く妨害球を飛び越えて的球に当たりポケットする。ジャンプショットという存在は知ってはいても、このように鮮やかに、しかも軽やかに決められたのを見て、学生たちはただただ感心した。その上、手球はほとんど動かずに次の的球へのポジションをキープしている。このショットが決まったあたりから、彼女の中で何かが吹っ切れたようにリズムが良くなってきた。

 
 息をのむような展開、しかし、逆にリードを奪い返したのは佐倉の方だ。
 
 (まずいな…。)とマスターは思い始めていた。ここまでの自分のを振り返ってみて決して悪くはない。ミスも少ない。しかし、それ以上に相手の方に隙がない。なおさらここで負ける訳にはいかない、そうした想いがだんだんと強まってきていた。
 
 (今闘っている相手を、か弱い女子プレイヤーなんて思っていては負けてしまう)
 
 マスターの形相がそれまでと違っていた。日頃ビリヤードの指導をしているときには見せたことがないような険しい表情だ。この気迫につられて、学生たちも行動を起こした。ゲームの邪魔をしないようにと、そろそろとテーブルの方へ近づいていき、圧倒されそうな緊張感の漂うその熱気の場所へ、一歩踏み込んだのだ。
 学生たちは、熱気を帯びた空気が覆う、透明のシールドのような”何か”の中に身を投じる。もちろん見ているだけには違いないのだが、ほんの数メートル近づいただけなのに、この熱戦の構成員になったかのような一体感を、文字通り”実感”した。
 二人のプレイヤーのまさに「存在感」がぶつかり合う戦い。その舞台のすごさをまざまざと見せつけられる。
 
 こうした緊張感の中にあっても佐倉のプレイにブレはなかった。むしろ伸び伸びとキューを出し、ポジションの精度も上げてきていた。椅子に括り付けられたかのように、ただただ見ているしかしようのない状況。次にマスターにターンが回ったのは、佐倉のショットミスで的球がポケットでわずかに外れたときだった。
 日頃のマスターにとってはなんと言うことはない配置だった。的球の角度はかなり薄めだが、次のポジションを取るのも問題はない。しかし、このショットでまさかのショートをしてしまう。ポケットには成功したが、手球のコントロールが弱めに出てしまったのだ。次のショットもポジションに苦しみ、セーフティを選択して佐倉にターンを渡す。
 
 (まさか、俺がホームテーブルでチビってしまうとは…)
 
 実はマスターが闘っていた相手は佐倉の他にもう一つあった。自分の中の弱い気持ちだった。相手がミスをしない相手であればあるほど、逆にミスを犯せないというプレッシャーが襲ってくる。そうしたプレッシャーを与えるには十分なぐらいのパフォーマンスを、佐倉は行っていたと言えるだろう。外しそうにない、だからこちらも余計にミスできない。その気持ちがプレイヤーを焦らせ本来のプレイを困難にさせる。
 
 ハイボールでのセーフティだったため、マスターが仕掛けたセーフティもそれほどきついものではなかった。とにかく隠すこと、そして相手に有利な展開になりにくいこと、そういった面では有効なものだった。
 それに応じる佐倉の方は冷静に状況を伺う。しばらく考えた後に、セーフを返す。
 マスターに撞き番が回ってきた。しかし、攻めるには確率が低すぎる。すかさずセーフティで返す。
 こんなやりとりが続き、両者ともに一歩も引かないセーフティの応酬が始まった。
 
 経験、知識、技術、どれを取っても自分の方に分がある、とマスター自身も周囲もそう思っていた。長引けば長引くほど有利なはずだ、と。
 しかし実際には違った。マスターが長考することの方が多くなり、額にうっすらとかいていた汗も次第に頬を伝ってくるのがわかるようになってきた。おしぼりを取り、額の汗をぬぐい、長考する。手のひらは汗ばみ、キューの滑りは悪くなる。ミスを最小限にするために最善の策を尽くす。
 相対する佐倉の方は、じっとテーブルの方を見つめ、傍目にはいったい何を考えているのかわからないほどの冷静さを保っていた。明らかに勝負慣れしているその姿には、座っていてさえうっすらとオーラを感じるほどだった。
 
 そして勝負に変化が訪れた。先に痺れを切らしたのはマスターの方だった。
 


  • 2019年2月21日(木) 17:08 by 芦木 均

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