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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です


第10話 二軒目はコーヒーで
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  それまでの陽気さは一変して、佐倉と大家はしんみりとした雰囲気で話していた。本音で話そうとしている佐倉、今度こそ本心を語っているのかは定かではない。二人の間でいくつかの言葉を重ねていくうちに、大家の目には佐倉の心の奥底に潜む鬱屈した気持ちが垣間見えては消えていく。

 
 「じゃあもう一度聞くけど」と前置きして、「本当に学校は楽しいのかい?」と大家は同じ質問を二度した。本当に楽しいなら単純に先と同じ答えが返ってくるはずだ。だが、佐倉の口からはハッキリとした答えは返らず、「うーん」とうなったきり、次の言葉に困ってしまっていた。
 
 「ああ、わかったよ」その場の雰囲気を少し変えようとした大家は次の質問に切り替えた。「あんた、アルバイト探してるのかい?悪いとは思ったけど、今日出かけるときに求人誌が見えたものだからさ。」
 
 「うん。探してるんだけど・・・。なかなか見つからないです。」ちょっと困った表情の佐倉だった。「バイトは、前にやったんだけど、人間関係が難しくって、なんか辞めさせられちゃったみたいな感じで。」少し口をつぐんで、それからまたゆっくりと重そうな口調で話し始めた。「なんか、私の居場所があまりなかったり、なんかこう、必要とされてないっていうか、あたしじゃなくても誰でもいいみたいな、そんな感じで辞めちゃって。」
 
 「いい働き口が見つかるといいんだけどねえ。」と大家は言うと、店の大将の方を振り向き、大声で「この店はあと一人くらい人を増やしたりできないかねえ?」と尋ねたが、大将も困り顔で、「いや、かみさんに手伝ってもらってるので十分でしてね、とても人なんて雇えませんわ。」と言うにとどまった。確かに一軒の小料理屋、奥さんが店員もしていて夫婦で経営しているぐらいなので、難しいのだろう。
 
 そうして話しているうちに、佐倉は自分が住んでいるアパートの大家が親身になって話しを聞いてくれることに、少し温かな気持ちになってきたことに気付いた。京都に引っ越してきて全く新しい環境で学校生活がスタートしたのはいいが、常にどこか不安を抱えながら過ごしてきたからだろう。学校の友人ともうわべでは上手く付き合うことが出来ていても、親身になって相談しあえるような友には残念ながら恵まれなかった。
 
 話すことで何か吹っ切れたのか、お愛想を済ませて店を出るときには、佐倉は「ご馳走様でした。」と大将にも大家にもハッキリとした言葉でお礼を言った。しごく自然に言葉が出たことに、佐倉自信も驚いたかも知れない。
 
 食欲を満たされた二人は店を出ると、「またちょっと付き合ってくれるかい?どうせ暇だろう?」とやはり大家のペースで物事は決まる。
 
 次に向かったのは喫茶店だった。夜はバーとしてアルコールも提供している。これまた古びた外装で、歴史を感じさせるような店だった。ドアのベルがカランとなって二人が入店する。店内には香ばしいコーヒーの香りが充満している。
 はげ上がった頭に口ひげ、黒いベストにワイシャツ、黒の蝶ネクタイといった、いかにも喫茶店のマスターらしい店主がグラスを丁寧に磨いていた。
 
 「やあ、大家さん、いらっしゃい。」ここでもやはり大家と呼ばれていた。ほんの少しだけレモンの香りがする水の入ったグラスとメニューを置くと、店主は何も言わずにまたカウンターに戻り、ポットのお湯を静かに沸かす。
 二人は「ブレンド」とフルーツケーキを注文した。他にも豆の種類はたくさんあったのだが、二人とも選ぶのが面倒だったのだろう。
 
 ミルの音がガリガリ言ったと思ったら、挽き立てのコーヒー豆の香りがまた一段と心地よく鼻腔を刺激する。
 店主がコーヒーを煎れるのを待つ間だ、佐倉は店の内装を眺めていた。大胆なカットガラスの大きなミラーや、小さな陶板を敷き詰めた壁など、古びているのがむしろオシャレに見えてしまう。カウンターの奥の棚には、ボーンチャイナのカップや置物、クリスタルの小さな動物の置物、たくさんのLPレコードが並んでいて、客が待っている時間をゆっくりと楽しませてくれる。店内にはそのレコードコレクションの中から、雰囲気にあったジャズやクラッシックが会話を邪魔しないように流れていく。
 そうした時間と空間を楽しんでいる佐倉を、大家はそっと見守っていた。
 「この店、なんだかいいですね。なんだかホントに、ほっとする。」
 
 マスターは二人を邪魔しないようにさりげなくコーヒーカップを運び、フルーツケーキを一切れずつ、小皿に切り分けて持ってきてくれた。煎れたてのコーヒーを飲むこと自体、佐倉にとって久しぶりのことだったし、ゆったりとした時間と香りを楽しむことの贅沢さ、快感をあらためて実感するのだった。
 そしてフルーツケーキの濃厚なこと!味わったことのない昔風のケーキのどっしりとした感じが濃厚なコーヒーとよく合っている。
 
 コーヒーを味わいながら、佐倉の心の中ではこういうちょっと懐かしい雰囲気の場所で働くのも悪くない、そういう気持ちが芽生えかけていた。
 
 そうしてまたこの店を後にすると、そのままぐるっと回ってまた別の路地に入っていった。「もうそろそろいるかもねえ。」独り言のように大家がつぶやくと一軒の店の前で立ち止まった。
 
 これまた古びた店構えで、先ほどの喫茶店ほどおしゃれな雰囲気ではない。ガラス戸の真ん中には大きく赤い字で「玉」と書かれており、ドアの上には雨よけのテントが張られている。ドアには「臨時休業中」の張り紙がされているが、店の奥の方には明かりが灯っていた。店の看板には「堀川ビリヤード」と書かれていてるが明かりは灯っていなかった。
 
 
 


  • 2019年3月 1日(金) 13:45 by 芦木 均

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