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ビリヲカ・プレーバック

毎回、ビリヤード雑誌のバックナンバーを一冊選んで、主な記事・企画を見ながら、ピックアップ記事を1本紹介していきます。「レッツ・タイムトリップ☆」

バブルの終焉とビリヤード雑誌創刊

1992年2月

世の中のできごと

1日 横綱・千代の富士引退・断髪式

1日 マルコ・テューチャー誕生

5日 松田聖子『きっと、また逢える』(32ndシングル)発売

8日 アルベールビル(フランス)冬季五輪開幕

14日 東京都清瀬市の交番で警察官が殺害される(2007年に時効)

19日 経済企画庁が景気下降を発表してバブル景気公式終結

20日 福岡県飯塚市で女児2人が行方不明。翌日に遺体発見

26日 氷室京介『Urban Dance』(7thシングル)発売

 

シリーズ初回の今回は、バブル景気が弾けた頃のお話です。

四半世紀(25年)以上過ぎた今となっては「バブルって何?」という人も多いことでしょう。

東京の「山の手線内側の土地の総額がアメリカ全土の土地価格を上回った」と言われるほどに、国内の地価が上がり続けた時代でした。

 

しかし1992年になったこの時、すでに経済は後退しており、株価も1989年をピークに下降線に入っていました。

ちなみにバブル期は国内のポケットビリヤードが史上最高に賑わった時期と重なります。

 

ハスラー2という大ヒット映画の影響もあり、全国のテーブル台数でいえば、軽く現在の10~20倍はあったはず。

当時、ビリヤードをするには1時間、2時間待つことが当たり前。

24時間営業のお店で「24時間待ち客が途絶えなかった」という逸話があるほどです。(実話)

 

そしてブームで遊んだ人の大半は仲間内の遊びで終わりましたが、一部の人は「これは奥が深い競技だ」と、マイキューを買ってプレイヤーとなり、大会にも出場するようになります。

一部の人、とはいっても、なにせ分母がとてつもなく大きいので、試合のエントリー数もあっという間に膨れ上がりました。

1/xが競技に突き進む、いわば「ビリヤードにおける分子の法則」ですね(笑)。

この分子の法則は、現在のJPAにも似たことを感じます。

 

それでは本題、時は1992年2月へ。

 

この前年の秋に『ビリヤードマガジン』が突然の休刊(廃刊)になり、その数か月後に創刊されたのが、今回紹介する『ワールド・ビリヤードマガジン』です。

 

当時の定価は1000円。裏表紙の広告はアダムジャパンの『ニュースーパーモデルキュー』。

編集・販売は旧ビリヤードマガジンの体制を継ぎましたが、この時から書店での流通はなくなりました。

業界で唯一の雑誌であったので、復刊の背景には、多くの関係者の支えがあったと聞いています。

 

時代ごとに業界を支えてこられた先人たちへの感謝も忘れてはなりませんね。

 

WORLD BILLIARD MAGAZINE Vol.1

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ピックアップ記事!

第9回『関西ジュニアPB選手権』

 

現在、開催されている『全国シルバースターカップ』(JAPA主催のB級以下の選手を対象にした試合)前々身の大会です。

この時はローテーションの120点先取で行われていた模様。

さて、注目をしたのは【9位タイ 赤狩山幸男】。

はい。ご存知、カーリーです。

若い!(15歳!?) そして、当時からイケメンですね。

 

彼はこの19年と半年後(2011年夏)にナインボールの世界チャンピオンになるわけですが、本人も周囲もさすがにそこまでは考えていなかったことでしょう。

会場は大阪の『オーシャンプール』。現在は『玉出ビリヤードACE』として、当時の面影を残しながら、今も主要な試合会場として使用されているお店です。

カムバック組の方と話していると、時々「玉出? あ、オーシャン!?」なんていう話になります。

たしか当時は『ブギー』や『ダウンタウン』というお店もよく会場に使われていたと記憶していますが、残念ながら現在はありません。

 

なお、このワールド・ビリヤードマガジンは170号(2006年7月)で長い歴史に幕を下ろしました。

 

プレーバックのコーナーでは、過去の一時代、一冊、一ページにスポットライトを当てていきます。 




  • 2018年3月 6日(火) 12:00 by 事務局

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