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ビリヤードをテーマにした写真をお届けするコーナーです。★毎週木曜日更新
2015年4月から月刊タカタ写撞部として始動し、2017年9月からビリヲカに移転し週刊コンテンツとして再始動。
ビリヤード好きなプロアマ写真家のご参加をお待ちしています。
昭和の玉屋
師走です。あと10日でクリスマス。そしてお正月。
年末年始はビリヤード場ガイドのアクセスが急増します。(GWとお盆休み中も同様です)
ビリヤードを日常的にしていない人にとって、ビリヤード場を検索で探すことは自然な行動です。
(普段は行かない人が)ボウリングや卓球に行こうとする時、たいてい検索で探しますよね!?
どうぞ新規顧客獲得にご活用くださいませ☆
それでは今週も写撞部をお届けいたします。
【昭和の玉屋】

今回の作品、時代を物語る素敵な1枚ですが、撮影者は不明です。
提供者は国内ポケットの女子プロ第1号にして第一人者である原田美恵子さん。
前列左側に幼少期のご本人が写っておられます。
「年齢からすると50年前くらいかな(笑)」
と笑っておられました。これ以上のリサーチは控えたいと思います(笑)。
ここで昭和の玉屋事情について少し触れてみたいと思います。
以前に立命館大学のグループが『昭和の西陣』を調べて残した書籍を読んだことがあります。
その中に『西陣の玉屋』を訪ねて、店主からの聞き取りを書き残したページがありました。
「上京組合(=京都市上京区のビリヤード場組合)に以前は100軒加盟していて、総会にはその8割(80軒)が出席していた」
という記述があったことを今でも鮮明に覚えています。
区に100軒はさすがに驚きですから。
「町内に1軒はあった」
という声を聞くことがありますが、それを証明する数字です。
小規模のお店が多かったとはいえ、驚嘆に値する点在ぶり。
この写真もちょうどその頃であろうと推測しています。
「2台店で点取りさん(スコア付けなどを行う女性スタッフ)が3人いた。2人は住み込み、1人は近所の人で通いだった」
と原田さんも証言しておられます。
当時は「旦那衆の社交場であった」という話をよく耳にします。
社長や店主といった層の人が日常的に出入りしていた遊び場がビリヤード場であったと。
しかし原田さんいわく、「ゲーム代は今と同じくらいなのかな。高くはなかったよ」とも。
すると、専属の従業員をテーブル台数以上に雇って商売として成り立っていたことが不思議です。
「そりゃあ、とにかく流行ってた。しかも大勢で撞くから」
ローテーションゲームを5人とか6人とかでプレーしていた時代。
当時はカブリと呼ばれる遊び方が主流でした。
そして昼間から夜まで常に賑わっていた。
それなら2台でも十分な収入があったことでしょう。
今一度、大勢で楽しめるゲームが流行るといいな、と思う次第です。
ちなみに原田さんは今もとびきりお元気で、いつも後輩の活躍に目を細めておられます。
***
昭和の玉屋 Photo data
撮影日:不明(昭和時代)
撮影場所:奴(やっこ) 京都市伏見区
モデル:原田美恵子さん、他、店主、従業員
撮影者:不明
※貴重な写真の提供ありがとうございました
***
※写撞部ではビリヤードと写真が好きな方の参加を随時募集しています
- 2017年12月14日(木) 12:00 by タカタ写撞部