五章 ブレイクランアウト 第90話 悪夢と精算
「なんか見たことある配置やろ?」
老人、いや重鎮たちはにやつきながらテーブルの上のボールの配置と六道の顔を交互に見た。
「ああ、忘れもしない、最後に出場したプロツアーでの最終ラックの配置とよく似ている。今でも夢にまで出てくる嫌な思い出の一つだ」
「ここでお前さんは難球の4番ボールを攻めたかった。が、そこで守りを選択した。そのことを今でも悔いてる、そうやの?」
「ああ、オレの弱い部分が出ちまった。結局、守ったお陰で有効なセーフティを返され、ゲームの流れを相手に譲ってしまった」
「で、ファンからは『チキン』ってな、会場で大きな罵声を浴びされてたな」
「勝ち上がれば勝ち上がるほどにオレの弱い部分が露呈した。ファンの言うような、オレは腰抜け野郎だよ」
そう言い放つと、六道はキューを構えて、華麗なキュー裁きであっさりと取り切ってしまった。
「一度身につけたものはなかなかに失わんもんやな。お前さんの刀はまだまだ錆びちゃおらんよ」
キューを重鎮に返すと、マスターにホットコーヒーを注文して、また椅子に腰掛けた。
「上に上がれば上がるほど恐かった。外すことを恐れて何もできなくなる情けない自分を嫌というほど思い知った」
「ワシも、な」
「えっ?」六道は老人たちの方を振り返った。
「ワシらも同じや。恐くてしようが無かったわ。いくらタイトルを取ろうが、恐いモンは恐い。お前さんは自分に正直すぎたのかも知れんな…」
「そんなもんですかね?」
「ほんの一握りの勇気、言うたら格好はええが、いつも逃げ出したいと思ったもんや。まあ、勝ったらホッとするし嬉しいけどな…」
六道は黙って言葉を噛みしめていた。
「あの嬢ちゃん見てみ? もう、球の怖さを十分に知ってると思うで」
テーブルに立ち向かっている佐倉の姿は、勇猛果敢にというよりは半べそをかきながら、それでも向かっているといった感じだろうか。表だっては楽しそうにプレイしているように見えるが、内に秘めた強い意志が彼女を突き動かしているように見えてしまう。
「あの娘は強うなる、間違いない」
「ええ、そうですね」
葵に比べて素直そうな佐倉の姿を見て、彼女をコーチしている3人の重鎮たちをちょっぴり羨ましく思う。
「ところで六道君、あんたここに何しに来たんや? 何か用事があったようにしか見えんがの。まさか、コーヒーでも飲みに来た訳でもあるまいに」
「あ、すっかり忘れかけてた。 あ、おい、佐倉さん!」
「え? はい?」
佐倉は見知らぬ男に呼び止められてビックリした。
六道は上着を羽織りながら帰りの身支度をするとともに、内ポケットに忍ばせておいたふくさを取り出して佐倉に手渡した。
「これ、酒井葵って子から」
「ああ、葵ちゃんから? 何かしら?」
黙って見ていたが、六道にとって佐倉の反応は容易に想像できた。
「は、は、は、果たし状!?」
重鎮たちは一斉に笑い出した。
六道がしたときと同じように、佐倉はクリッとした目を大きく見開いて中の手紙を舐めるように目通しした。
「ハァ…。これ、受けないと…いけないんですよね?」
佐倉は額に手をやった。
「まぁ、断れんことはないと思うが、遅かれ早かれ、だろうな」
「今の時代に、あんたらおもしろいことやってるんやな。ワシらも見学に来ていいか?」
「は、はあ…」
「ずいぶんと可愛らしいというか、けったいな果たし状やのォ」
佐倉へ宛てられた果たし状は、ピンクの封筒ごと重鎮たちにも回され、達筆だの、今の子ときたら…だのと、思い思いのコメントをされた。
やると腹をくくった女が強いのか、彼女の性格なのかは判断がつかないが、思いも寄らないハッキリとした返答が彼女から返ってきた。
「わかったわ、受けて立とうじゃないの!」
佐倉は持っていたキューのお尻を床にドンと叩き、その姿はまるで長刀を振るう女剣士さながらだった。
かくして二人の対決のときは定められた。堀川ビリヤードでは果たし状のコピーが壁に貼り付けられ、常連客を中心に噂が噂を呼んだ。応援団を結成する呼びかけも浮かんだが、相手がさらに年下の少女とあって、控えめな応援にしようということで落ち着いた。
対する葵の方は佐倉の快諾に笑み一つ浮かべず、さらに腕に磨きをかけようと切磋琢磨している。その練習のときのの集中力たるや、現役時代の六道をも凌ぐ凄まじさだった。
店の奥の壁には、「酒井葵 VS 佐倉南 果たし合い決戦」との横断幕が張られ、舞台の準備は着々と進められた。
Race to Elevenの過去の記事は こちら をご覧ください。
- 2013年5月21日(火) 07:00 by 芦木 均