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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です

第97話 レース・トゥ・イレブン
Race To Eleven    第六章 偽りのマスク 
第97話 レース・トゥ・イレブン


 その男は白いチョークを手に取り、自分の名を記した。名は「大河」といった。
 「あんたの名前は?」
 「佐倉、佐倉南です」
 チョークが黒板の上でカツカツといった音を残し、二人の名前が刻まれた。2つの名前の間の少し上には最後に数字が記された。
 「11?」
 佐倉が怪訝そうな面持ちで訊ねた。
 「そうだ、レース・トゥ・イレブン、11セット先取。ハンデなど必要無い、それが真剣勝負ってもんだろ!?」
 「あ、はい」
 「異論はあるか?」
 「い、いえ…」佐倉の表情が少し曇った。
 「オレはどんな相手に対してもハンデは振らない。たとえそれが女子供でも、自分より強いと思う者でも同じだ。それが相手への最大限の敬意だと思っている」
 それはイコール、佐倉に対しても敬意を払っているということになるだろう。
 「はい!」は元気よく答えた。
 「オレはビリヤードが柔なゲームだなんて思っちゃいない。魂と魂がぶつかり合う格闘技のようなものだと思っている。相手の図体や経歴など一切気にするな。相手の魂と本気で語り合え」
 「はい」
 佐倉には大河の言っていることが抽象的でわかりづらかったが、はじめて耳にする言葉の羅列に圧倒されそうになりながらも、何とか理解しようと試みてみる。
 
 圧倒的に分の悪い対戦である。しかし、佐倉は自身の中にあるワクワクする気持ちを抑えきれない。勝つ可能性は限りなくゼロに近いだろう。しかし1セットでも報いることができるだろうか?
 
 両者はバンキングをするために帯球を反対側のクッションに向かって撞き出した。ゆっくりと跳ね返った的球はスルスルとこちらへ戻ってくる。佐倉のショットは少し強かったが、大河はピタリとクッションに寄せた。
 
 「どうぞ」
 佐倉がそう言うと、大河は自分でナインボールのラックを組み始めた。
 「先に言っておけば良かったが、このゲームはオルタネート・ブレイクでやろう」
 大河は後から提案した。
 オルタネート・ブレイクとは、交互ブレイクのことである。ナインボールのゲームでは勝者ブレイクで行われることが多く、9番を沈めてセットを獲得した方が続けてブレイクを行うが、オルタネートでは完全に交互にブレイクを行う。そのため、野球のイニングの表裏やテニスのサーブ権の交代などのように、公平性が高くなる。またブレイク権を持っているときにそのセットを落とさないことが勝ちに繋がり、よりエキサイティングなゲームになる性質がある。
 
  大河のブレイクからゲームがスタートする。しかし、それにしても大河のブレイクは強烈だった。
 
 (腕の振りが見えない…。それどころか、手球さえ目で追えない)
 
 
 シュッと繰り出されたキューはすぐさま手球をヒットし、その手球の動きさえ目で追うことが難しいスピードだ。まるで白い手球が瞬間移動でもしたかのような素早さ。直後には激しい音をたてて爆発するように飛び散る的球。
 滑らかな、流れるような身のこなしで次々にポケットされていく的球。気がつけば大河がそのセットをマスワリで決めていた。
 
 
 大河が着席すると、佐倉は自分のラックを組み始めたが、その手はガクガクと震えていた。大河はそれを笑うでもなく、全くの無表情で見ていた。
 大河に比べて非力な佐倉のブレイクは弱々しく、だが確実に1番ボールにヒットして綺麗に散らばっていく。
 途中でミスし、大河にターンが回ると、そのごちゃついたボールを驚くべきポジションコントロールでもって丁寧に片付けていく。
 そうしている間に圧倒的な大河の流れができていく。
 
 佐倉は弱い気持ちに負けそうになりながらも、自分を強く保とうとしていた。いやむしろ、このオルタネート方式によるメリットを享受していたのかも知れない。なぜなら佐倉が苦手とするブレイクを交互で試せるのだから。
 気がつけば佐倉は、大河のプレイに大きく影響されていた。相手の胸を借りるという言葉通り、彼女は大河のショットの一部始終を目に焼き付け、それを実践することでモノにしようとしていたのである。
 
 
 圧倒的に負けているにも関わらず、佐倉には心地よい集中の時間が流れはじめる。気がつけば大河の影は自分の中には存在しなかった。あるのはテーブルの上に散らばった的球、そして白い手球、キューとそれを操る自分。そしてさらには一歩引いて自分を見つめるもう一人の自分。
 いわゆる”ゾーン”に入っていたと言える。緊張してガタガタ震えているはずなのに、である。
 
 「ふーん」
 大河はそれを見逃さなかった。そしてかすかながら彼女からも、うっすらとしたオーラが見え隠れする。
 一番驚いていたのは佐倉自身だろう。
 これからショットするはずの手球が勝手に動き出し、的球に当たって転がしてく。手球はそこから分離して回転しながら次のポジションにするすると転がっていく。その映像と音があまりにも鮮明に、これから繰り出されるショットの結末を予言していくからだ。1ミリよりも小さな単位で的球はコントロールされていく。「入るかも知れない」という希望が「入るしかあり得ない」という確信に変わる。
 
 そうした時間はこのゲームにおいてたったの2セットしか無かったが、黒板に刻まれた縦棒2本はそれが現実であることを物語っていた。
 
 結局のところ、気がつけば大河との対戦は11対2という大差で終わってしまったが、佐倉はすごく充実していた。
 
 
 堀川ビリヤードにかけられた大きな掛け時計の方を見ると、大河はキューをバラし始めた。
 「そろそろ行かなきゃな。新幹線に間に合わなくなる」
 「本当にありがとうございました」
 佐倉はそう言って負けの場代を支払うと、場代を精算した大河は佐倉に1ドル紙幣をプレゼントした。
 「こいつはお守り代わりだ。取っとけ」
 「はい、ありがとうございます」
 
 そう言い残すと大河は堀川ビリヤードを去ろうとする。ドアを開いたところでこう続けた。
 「このままのビリヤードを続けていてもオレに勝つことは無理だろうな」
 「は、ハァ…」
 「目を瞑っていても…とは言い過ぎだが、たとえ暗闇の中でもオレは勝つ自信がある。ま、いずれにしてもオレはこれから一暴れしてくるところさ」
 佐倉には彼が何のことを言っているのか、まったく想像がつかなかった。
 「せいぜい腕を磨いておくことだな」
 「あ、はい…」
 男はそう言い残して静かに去って行った。
 


  • 2013年11月19日(火) 07:00 by 芦木 均

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