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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です

第94話 敗戦のあと
Race To Eleven 五章 ブレイクランアウト  第94話 敗戦のあと


 「それじゃ、わたしはお兄様の車に乗るわ」
 葵はそう言って兄の車に乗り込んだ。報告したかったこともあるのだろう。
 
 残された運転手の瀬名は、助手席のドアを開けると無言のままコーチの六道に目で合図を送った。静かに乗り込む六道は真っ黒なサルーンのドアを静かに閉じた。
 同じ方向、つまり2台とも酒井家に向かっている筈なのだが、瀬名が運転するクルマはいつもよりゆったりと市街地を滑るように進んでいった。ヘッドライトが夜道の前方をクッキリと照らす。何台もの車が右側の車線を追い抜き、赤いテールライトを浴びせていた。
 
 
 いつもは沈黙を保っている瀬名が珍しく口を開いた。
 「なあ、アンタはどう見なさるね?」
 「今日の結果のことか?」
 瀬名は沈黙をもってイエスと答えた。助手席に座っていた六道は、シートの横に備えられたボタンを押し、電動でリクライニングを倒した。両手を頭の後ろに組んで大きく伸びをした。
 「まあ、あのお嬢ちゃんの実力を100%出し切ったゲームだと言っていいだろう。たいしたものさ。恐れ入ったね」
 六道はにやりとした表情をしていたが、素直に喜びを表現するのとはまた違っていた。
 
 運転する瀬名の表情を伺うと、真正面を向いたままピクリとも動じる様子はない。六道は続けた。
 「残念ながら、本当の実力という奴は、対戦相手の方が上手だろう。ポジションのコントロールに長けていたし、経験値でも彼女の方が上だと思う。しかし、ゲームを作るセンスで言えば、ウチのお嬢ちゃんの方が数段上だった。そんなゲームだった」
 

 その会話に特に驚きもせず、瀬名が応じた。
 「学校のテニスの大会でもそんな感じだったと聞く。もっとも、実力は葵お嬢さんの方が上なんだが、正人坊ちゃまいわく、実に巧いプレイをするそうだ。彼女にはゲームの流れを読み切るような才能があるらしい…」
 
 大勢の前での対戦にも関わらず、少しも動じる気配がない葵。六道はそのメンタルの強さが、実はテニスの試合を通じてすでに備えていたものだと知った。六道はわずかに伸びた無精ひげを左手でなでた。そして、言うことを躊躇っていた一言を発した。
 「彼女がいないから言うが、あれは何というか、アレだ。その、昔、誰でもやった経験があるんじゃないかと思うんだが…」
 瀬名は暗い車内の中で六道の方を振り返った。
 六道は続けた。
 「小さい子供が昆虫を見つけて、そいつを殺さずに少しずつ手足をもいでいくような遊びっていうか…。お前さんも経験あるだろ?」
 「つまり、その小さい子供が葵お嬢様で、もがれている昆虫が佐倉さんだと?」
 暗がりの中で瀬名の目がキラッと光ったような気がした。六道は言ったことを少し後悔した。
 「あ、ああ…」
 しばしの沈黙がこの狭い空間を支配し、瀬名が口を開いたのは、実はそのわずか後のことだった。
 「私もそのような気がしていたところです。このようなことがお嬢様の生育にとって好ましいのかどうか。家主様にご報告すべきかどうか、少し悩んでおりました」
 「そ、そうか。運転手も大変だな…」
 「ところで、相手方の方はどうでしょう? ビリヤードを辞められてしまってはいずれの方についても良いこととは思えません」
 「オレもそれは気にしたが、大丈夫だろう」
 「そうですか、それなら安心です」
 「一時的に辞めたくなることはあり得るだろうが、彼女は実に周りの仲間に恵まれている。辞めてもきっとまた続けるだろう。むしろ、お嬢ちゃんの方が、思い通りに勝ったことで満足してしまっていたとしたら、どうかな…」
 「それは私にも分かりかねます」
 
 二人は声に出さず、うーんとうなった。心なしか瀬名がアクセルをやや強めた、と六道は感じていた。最初にゆっくり走り出していたのは、六道と話したかった、彼なりのアピールだったのかも知れない。六道にとって、瀬名の冷たく素っ気ない運転手、というイメージが払拭された日だった。

 

 一方の堀川ビリヤードでは、対戦テーブルの椅子に腰掛けたまま俯いている佐倉南と、それを静かに取り囲むマスターや常連たちだけが残っていた。
 顔を両手で覆っていた佐倉はすっくと立ち上がった。
 「ああ~、もう!!!」
 佐倉は腹の底から力強い声を出し、グーにした両手を振り下ろした。まるで何かに怒っているようだ。
 「あの9番ボールを入れなかったあたしが悪いのはわかってるわよ…」
 皆が、彼女の一挙手一投足に注目していた。
 「それに、あの、正確なブレイクショット。強く割れて、何回もブレイクしていくうちに強さ加減を掴みきって…。そこからのマスワリ、なんて…」
 
 そう言うと、佐倉はテーブルのリターンボックスに収まったボールを全てテーブル上に上げ、一球一球並べ始めた。
 
 「ほう…」
 皆が声を揃えて感心した。並べ終わったそれぞれの球を見てみると、葵が最後にブレイクした直後の配置だった。
 
 そして、ドン!と音を立てて手球をブレイク直後の位置に置くと、おもむろにキューを取り出して構えだした。
 「まず、1番ボール。これは芯の少し下を撞いて向こうに少しだけ転がして2番にポジション」
 そう言いながら、そのショットを現実にやって見せた。
 
 「次は2番。これをコーナーに沈めて、撞点はさっきより下で、ちょっとだけ引いて3番にポジション」
 佐倉は全てのショットを声に出して宣言し、その通りにやってのけた。
 
 皆が見守る中、最後の9番ボールにポジションすると、それを慎重に構え、キューを何度もしごいて今度は外さなかった。
 
 「あの子の上達も凄かったけど、決して今のあたしに出来ないショットの積み重ねじゃなかった…」
 
 重鎮の一人がそれに応えた。
 「うんうん、この子は、ようわかっとるわ。ワシが言いたかったことも自分で見つけとるしな」
 
 「お取り込み中、ちょっといいですか?」
 自称ビリヤード博士の牛島が申し訳なさそうに割り込んだ。
 「何かの役に立つかと思って対戦中のショット全部を記録していたんですが…」
 「へえ~、牛島やるじゃん!」
 お嬢が茶化して言った。
 「データによりますと、前半の3セットについては佐倉さんのシュートミスは非常に少なくて、92%のシュート率を誇っています。一方、酒井葵さんのシュート率は、セーフティを有効とした場合、最後の5セットに限っては100%のシュート率でミスがゼロなんですが…」
 「おい、そんなに凄かったのか」とマスターが遮ると、重鎮が牛島を後押しした。
 「見てる限りはノーミス、そんなもんやろ…」
 「はい、恐縮です。では続けます。そのセーフティが問題なんです。攻められるのに入れようとしなかった球が実に46%はあります。攻められるかどうかの判断は難しいですが、バンクショットなどを除外して、直接狙えるポケットがある場合、これをシュートミスに含めてしまうとシュート率は実に75%にまで落ちてしまいます」
 「ま、あくまで参考の数値やな…」
 「つまり、入れる自信のある球だけ狙って、それ以外はセーフティしていたってこと?」
 「極端に言えばそういうことになります」
 
 
 その場にいた皆がうんうんと頷いた。試合を見た感想と数値の裏付けが一致しただけだからだ。
 
 佐倉がポツンと言った。
 「あの、そんな相手に勝つ方法はあるんでしょうか?」
 皆が重鎮たちの方を振り向いた。
 「ああ、そりゃ、勝つ方法なんてナンボでもあるぞ。ただ…」
 そう言いかけたところで、沈黙を保っていた大家がしゃしゃり出てきた。
 「今のアンタに必要なのは、あの4セット目の9番を外さずに入れてさっさとリーチをかけ、その次のセットでマスワリを出すこと。わかったね!?」
 「あ、は、はい!!!」佐倉は直立して答えた。
 「まあ、そういうことや」
 「相手より入れちぎったれ!!」
 
 マスターや常連たち、重鎮たちみんなが佐倉を見守っていた。もっと激しく落ち込んでしまうものだと思っていたが、自らの中で葛藤し、答えを見つけて立ち上がった。結局のところ、佐倉が立ち上がったときに得た答えと、巡り巡って大家が伝えた言葉とは同じ性質のものだったが、この出来事によって佐倉は大きく確信を得ることができたのだ。
 店を去る頃には、佐倉の胸中では敗戦による悔しさよりも、さらに大きく上回る未来の姿で埋め尽くされていた。


Race to Elevenの過去の記事は こちら をご覧ください。
 



  • 2013年8月27日(火) 07:00 by 芦木 均

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