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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です

第87話 コーチとドライバー
Race To Eleven   六道は、瀬名が運転するセンチュリーの後部座席にどっかと腰を下ろしていた。行き先を告げられた車とドライバーは、一般道を流れるように走っていた。六道は、最初は物珍しそうに革張りのシートのステッチを指でなぞってみたり、オットマンの上に足を載せたりしてしきりに頷いていた。
 ドライバーの瀬名は、オットマンのきれいな革張りが靴で汚されやしないかと、やや不機嫌な面持ちで黙っていた。本来ならその席には葵が座しているはずなのだ。
 
 そのまま無言の車は国道から住宅地へと入っていき、路地を曲がる手前で六道が車を停めさせた。
 「あの子はどこまでやれると思うか?」六道はドアを開けずに訊いた。
 「お嬢様はそんじょそこらの女の子じゃないですからね…。あんたが想像できる以上のことをする人ですよ」
 「そのお嬢さんの出来に、大いに期待したいところだな…」
 六道はそう言って後部座席のドアをバタンと閉め、薄汚れた白いマンションが建つ方向へと去って行った。
 瀬名は、何かもやもやしたものに嫌みを込めて、六道に浴びせかけたい欲求があったが、ほんの少しの会話で機を逸した格好だった。
 
 
 
 それから一週間が経って、六道は酒井家の豪邸に足を踏み入れた。
 「葵は? まだ学校か?」
 「はい、お嬢様はまだ帰宅しておりません」
 この家に仕える家政婦が答えた。
 「あの変な運転手もまだか…」
 「ええ、運転手は常にお嬢様と行動を共にしておりますから。中でお待ちになりますか?」
 「ああ、そうさせてもらおう」
 薄暗い邸内の古い階段を踏んで2階へと足を進める。邸内は清掃が行き届いていて塵の一つも落ちてなさそうだ。
 「おたばこを吸われるなら、この部屋でお願いしますね」
 家政婦は六道をキッと睨んだように見えた。
 六道が部屋のドアを開けると、そこは4畳半ほどの小さな部屋で、小さな木の机と椅子が2脚置いており、机の上には紺色の絵付けがされたいかにも高価そうな灰皿が置かれていた。
 六道は何もせずにドアをバタンと閉めて家政婦の後に従った。
 「こちらでお待ちくださいな。すぐにお茶をご用意いたしますよって」
 「ああ、すまない」
 
 夕暮れ時の薄暗い部屋の中にはビリヤードテーブルが置かれている。六道はテーブルに近づいてそのレールを手のひらでさっとなでながらぐるりと周囲を一周した。ハッと思い、ラシャの異変に気がついた。
 「これじゃ保たんな…」
 彼はブレイクの際に手球が置かれるであろうポイント、左右の2カ所から、フットスポットに目がけて正確に2本の線が描かれているのを見落とさなかった。何回も同じ場所からブレイクされていくうち、ラシャの表面がすり減り、跡が残ってしまったのだ。さらにフットスポットの周辺をなでるようにして調べてみる。
 
 そのとき、パチッという音がして、部屋の明かりが一斉に点いた。家政婦がお盆の上にお茶を載せて運んできたのだ。
 「ここに置きますね」
 「ああ、ありがとう。ついでにすまないが、ワイシャツかブラウスの端切れがあれば持ってきてくれないか? ほんの小さなもので構わん」
 「ええ、それぐらいでしたら…、あとでお持ちしますわ」
 
 六道は、まるで檻の中のクマのように、テーブルの周りをぐるぐると周り、ラシャの跡をなでていた。端から見ればただの変人にしか映らないが、彼の頭の中では葵の練習風景が再現されていた。十分な練習ができてなければこっぴどく叱ろう、そう思っていたが、瀬名が言うようにただのお嬢さんではなさそうだ。
 想像はやがて妄想に変わり、彼女をうまく育てることが出来れば、いったいどんなプレイヤーに変貌していくのだろう? そう考えただけでもゾクゾクとする感覚を覚える。
 
 「はやる気持ちを抑えて、まずは現状の確認と分析だ」
 
 心の中で彼がこうつぶやいた後になって、葵が家に帰ってきた。
 「ただいま、すぐに着替えてまいりますわ」
 「ああ」
 そんなやりとりがあって早速、用意が済むとすぐにレッスンが始まる。
 
 「まずは前回のおさらいからだ。ブレイクをしてみろ。いつもと同じでいい」
 
 葵は軽く柔軟体操をして腕や手首をほぐし、キューを何度かしごいて手早く体をビリヤードに対応させると、フットスポットに組まれたナインボールのラックに目がけ、ブレイクキューを構えた。
 六道には彼女のフォームが、一週間前に教えたものとほぼ変わらない状態を保っているか、あるいはそれ以上に洗練されたように見えた。
 正確に置かれた手球、そして寸分違わずに毎回同じ位置にセットされているであろう、ブリッジ。何もかもが正確にトレースされているようだ。これは同様に正確無比な兄の影響によるものなのだろうか。
 
 ドカン!
 
 彼女の容姿からは想像できないような大きな音を立て、放たれた手球は1番ボールの教えられた位置に正確にヒットし、他のボールを勢いよくはじき飛ばす。違っているのは一週間前との威力の違いだ。
 はて、と思った六道は、もう一度ブレイクをさせた。
 同様にまた大きな音を奏でて、色とりどりのボールが勢いよくクッションで跳ね返り、散らばる。
 
 「まさか…」六道は思わず彼女に尋ねた。
 「はい?」
 「この短期間で1番ボールと手球の位置関係まで調整したというのか?」
 怪訝そうな目で見る六道に向かって、葵の回答は実にあっさりしたものだった。
 「ええ、そうじゃなければ、高い確率でマスワリなんてできっこないでしょ?」
 「ああ、そうだ。その通りだ」
 二人の後ろでじっと見守っていた瀬名の口元が、わずかにほころんだ。


第五章 ブレイクランアウト


  • 2013年4月23日(火) 03:00 by 芦木 均

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