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Race To Eleven
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毎週火曜日連載・ビリヤードの長編連載小説です

第85話 ゴスロリ少女とチンピラコーチ
Race To Eleven  「なんですって!?」
 ビリヤードの世界においても噂というものは一人で歩き出すらしい。ゴスロリ少女、葵の情報源は主に兄からのものだったが、彼女がライバル視している佐倉南が試合でマスワリを出し、しかも準優勝したと聞いてはただ事ではない。
 
 葵の住む酒井家の豪邸の中にはビリヤードルームが設置されていた。それは彼女の自室の隣にあって、専属のプロがコーチのために雇われ、空いた時間をいつでもレッスンに当てられるようになっていた。
 高校一年生になったばかりの葵にも学校の勉強は大切だが、頭が良いからか家庭教師が優秀だからか、短時間でサラッと勉強を済ませてしまう。それ以外のほぼ毎日、たとえ短時間でもキューを手放すことはなかったのだが、ナインボールでブレイクから9番ボールまで撞き切った経験は今のところない。
 
 今日はビリヤードレッスンの日ではなかったが、彼女はそんなこともお構いなしに専属プロを電話で呼びつけた。
 
 「葵お嬢様、どういったご用件でしょうか?」
 レッスンプロはおそるおそる彼女にそう問いかけた。
 「なぜあの佐倉とかいう女にはマスワリが出せて、わたしには出せないの?」
 背の低い彼女がレッスンプロを下から見上げるように睨み付けた。
 「必要なレッスンはしています。そのうち、お嬢様にもきっと出ますから、どうか気長に・・・」
 そう言いかけた言葉を葵が遮った。
 「『そのうち』っていつかしら?あと一ヶ月以内に出せるようにできますか?」
 プロは言葉に詰まった。
 「う・・・。一ヶ月あれば近いところまでは行く自身はありますが、約束までは正直なところ・・・」
 「もういいわ。他の人に頼むわ。あなたは明日から来なくてよくってよ」
 「え?そんな・・・」
 レッスンプロの言い訳を遮るようにして、お付きの運転手、瀬名がプロの両肩をがっしりと掴み、部屋の出口の方へと向きを変えて外へと導いていった。
 「そういう訳ですから、どうかご承知おきを」
 「は、はい・・・」
 レッスンプロは両肩を落としながらすごすごと引き下がり、屋敷を後にした。


 葵の決断と行動は素早い。きっと女社長になったとしても手早い仕事をするだろう。
 レッスンプロと運転手が部屋を出て行くのを見届けると、素早く兄に電話をかけた。
 「ねえ、もっと頼りになるコーチはいないの?わたしはマスワリが出したいの。できれば一ヶ月以内で」
 「相変わらず無茶を言うな。わかった。誰か当たってみるよ…」
 こうと言えば聞かない妹のことを、兄はよく理解していた。


 2,3日すると兄から電話があった。
 「あの件だけどね、プロじゃあないけど、いい人が見つかったから、近いうちに行くと思う。なんかクセがある人らしいけどね…」
 「わかったわ。ありがとう」
 
 
 
 そうしてやってきた『新コーチ』の風貌は、前のコーチと明らかに違っていた。前のコーチが爽やかで清潔な雰囲気だったのに対して、今度のコーチはパンチパーマにサングラス、どこからどう見ても堅気の人間には見えない。先の尖った黒い革靴、派手なダブルのスーツに濃い色のワイシャツ、そしてネクタイも一般的なサラリーマンがしているものとはまるで違う。
 
 同じようにお付きの瀬名がいるからいいものの、一人で入室させるにはあまりにも「アブナイ」風貌。
 
 「一ヶ月でマスワリを出したいってお嬢ちゃんはこの子か?」
 「ええ、わたしよ。あなたにコーチができますこと?」
 下から見上げる目は真っ直ぐに新コーチの方を睨み付けていた。一方のコーチの方もサングラスの下では葵をしっかりとにらみ返していた。瀬名は何かあってもすぐに飛びかかれるようにと待機している。

 「で、お嬢ちゃんはマスワリが出たらそれで十分なんで?」
 「葵と呼んで下さる? もちろん”マスワリ程度”には固執しないわ。それよりもあの女を倒して、彼女が手の届かないような高みに上り詰めることに興味があるの」
 「まあ、いいだろう…」
 二人はお互いに言葉の中に攻撃性を滲ませていた。普通に会話しているようにも見えて、実は言葉を使った殴り合いをしているようなものだ。
 「それよりも、あなたの腕は確かなの?」
 葵は椅子に深く腰掛けたままコーチの方を見上げながら言った。
 次のコーチの行動は驚くべきものだった。
 上着の内ポケットからタバコを取り出すと、一本を口にくわえて火を付けたのだ。お付きの瀬名は今にも飛びかかりそうなぐらい、顔を真っ赤にして怒っていたが、葵はまったく関知しない様子で、片手の合図で瀬名の動きを制した。

 恐らく、ただの一本のタバコもくゆらせたことのないこの部屋に、紫煙が立ち広がる。コーチは吸った煙を葵の顔に吹きかける。とんでもないことだが、葵はじっとコーチをにらみ返しているままだ。
 「撞いてみろ」
 コーチが葵にキューを放り投げ、葵は両手で受け止めた。
 
 「わたしが撞くの?」
 「ああ、そうだ。言うとおりにやれ。オレが撞いてるのを見ても仕方ないだろう?」
 コーチは残ったタバコの吸い殻を、テーブルの上に置かれたカップの中でもみ消した。
 瀬名は顔を真っ赤にしたままで、次に何かあったら飛び出してコーチの胸ぐらを掴み、右アッパーの一発でもお見舞いし、二階の窓からこのチンピラを放り投げたいと思っていた。


 ナインボールのラックはコーチによって組まれた。
 葵は言われるままにブレイクショットをし、順番にポケットを狙ってショットをしていくが、そうは思うようにいかない。まずブレイクは弱々しくてどの球もポケットインしなかったし、そこから順番に撞いていくも指示通りできないショットが多くて続かない。
 
 「もう一度だ」
 コーチは同様にラックを組んだ。しかし今度はブレイクショットも含めてショットを始める前に入念なコーチングが加わった。
 葵の肩や肘、腰にも手を添えてフォームを矯正する。瀬名はやはりワナワナと気が気でなかったが、そっと見守るしかなかった。
 キューの方向や顔の位置など、すべてが納得するまでショットを行わない。
 イメージを伝える表現は少々乱暴な言葉が含まれていたが、葵の方もそれを一切気にする気配もない。
 瀬名は内心「やれやれ」と思っていた。
 
 ブレイクショットによってウイングボールがポケットすると、そこからも一球一球が完全にイメージできるまでショットをさせない。どうしてそのような選択をするのかの説明は一切なしに、葵はただただ言われるままに体を動かしていた。
 しかし、それが5番ボールぐらいになってある確信に変わってきた。
 
 (コーチはこのラックでマスワリを経験させようとしている?!)
 
 そしてさらに一球一球が信頼へと繋がり、同時にマスワリへと繋がっていく。8番ボールをポケットし、最後の9番ボールを狙う頃にはハッキリと確信できた。つまりこのコーチの指導を受ければマスワリなど簡単に出るようになるものだと。
 その9番ボールを沈めた瞬間、葵はコーチに頭を深々と下げていた。
 
 「ありがとうございました」
 コーチはおめでとうなどとは言わなかった。
 「もう帰っていいだろ」
 「ちょっとお待ち下さい。コーチを引き受けてもらっていいですか?」
 嘆願する葵にコーチは無反応だった。
 
 葵は瀬名にメモを手渡し、瀬名はどこかへと消えて行き、大急ぎでまた部屋に戻ってきた。
 瀬名は茶封筒をコーチに手渡した。
 「コーチを引き受けてもらうにあたり、前金だそうです。それでご判断下さい」
 瀬名としては自身の気持ちとは裏腹に、深く頭を下げてお願いをした。
 コーチはその封筒をもぎ取るようにさっと取ると、上着の内ポケットの中に仕舞い込んだ。
 「3日後にまた連絡をする。期待しないで待っててくれ」
 そう言い残して彼は部屋を後にした。
 
 
 男が立ち去るや否や、瀬名は急いで部屋の全ての窓を開き、濁った空気を入れ換えようとした。
 「こんなことが旦那様に知れたら大変なことです。煙で汚れたお顔を早く洗って下さい。あとはわたくしがなんとか取り繕いますので」
 瀬名の焦りぶりとは対照的に、葵はにやにやとしていた。
 「あんなに渡して大丈夫でしょうか? きっと持ち逃げして二度と来ないんじゃないかと思いますが…」
 「そうね、もしそうならそれまでということかしら…」
 彼女は試されつつも、コーチを試していた。それぐらいの金銭を包んでいたのだ。
 
 
 
 豪邸の門の外では、その男が自分の古いセダンの中で封筒の中身を確認していた。
 「1、2、3、・・・。40万か。あの子はなかなか根性もあるしスジもいい。少しはオレにも運が回ってきた・・・か」
 封筒の端を指でパチンと鳴らしエンジンに火を灯すと、男は夕陽の方向へと車を走らせていった。


  • 2013年1月23日(水) 00:24 by 芦木 均

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